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数年ぶりに 自分のコラムを読みなおしてみました。
十数年たっても考え方や感性はぶれていないな・・・
というのが自分の感想です。

このコラムを書いた後、大将は亡くなり、世の中デフレになり、
今また大不況でどうなるのだろうかと日々思います。

このコラムを書いた頃は『エコ』も『国産』のことも『自然派志向』のことも
話題にはたいしてなりませんでした。

今、地球環境のこと、食育のことなどが取り上げられるようになりましたが
昔から変わることなく続けていることは「普通」なのです。

【究極の普通】でありたい というのが理想です。

山口新聞(東流西流)

1997年7月〜8月 日曜日を担当

1 自然のリズム
ふぐのイメージ
もの作りと遊び心
食べ方と文化
微妙な味かげん?
燻製
ふぐ族に感謝
地方からの情報発信
思いやり
自然のリズム 山口に生まれ育ち、東京で学生生活を送りそのまま20数年がたちました。3年前から実家のふぐ水産加工業を手伝うようになり、今また山口暮らしをしています。しばらく生まれ故郷を離れていたせいか、自然を意識するようになりました。エメラルドグリーンの海、流れる雲、頬をなでる風、時間がゆっくたりと流れているような気がします。魚を製品に仕上げるためには何日もも時間がかかります。ここにいると自然のこのリズムでなければウチの製品はできないのだと妙に納得させられます。世の中のスピードに合わないまま従来通りのこだわりを今に引きずっているのです。最近、本物・手造りが特別のもののように扱われていますが、何が本物でどこまでを手作りと称するのでしょうか。わざわざ本もの・手作りとうたわないとお客様にアピールできないのでしょうか。疑問が次々と沸いてきます。しかし今までのやり方を信じ、従来通りの作り方でお客様に「美味しい」と言われた時は、特に気にすることもないか、と思えてくるこの頃です
ふぐのイメージ 「ふぐ」は冬の季語です。江戸時代の俳諧師の多くは、ふぐの句を詠んでいたとききます。「雪野ふぐ、万魚の上に立たんとす」蕪村。「五十にてフクの味知る夜かな」一茶などです。フグ漁が彼岸から彼岸(9月から3月)までと言われていました。冬場を中心に産卵のために沿岸に集まってくるふぐを捕っていたのです。よく太ったふぐは、淡白な味に加えてウナギの数倍のホルモンがあり、特に白子に多いプロタミンやヒストンには、計り知れない薬効があると言われています。ふぐの毒にあたるかもしれないと思い、ドキドキしながらもホカホカと体が温まるふぐ汁は格別なものだったに違いありません。(今は資格を持った調理師によって処理されますから中毒の心配はありません)時代は変わり、冷凍技術や流通技術が発達した今日では、四季を通してふぐを食べられるようになりました。ふぐをいうと「てっさ・てっちり」が頭に浮かびますが、ふぐの加工製品にはそのイメージを変える面白さがあります。夏に似合う涼味あふれる製品作りもその一つです
もの作りと遊び心 子供の頃の楽しみの一つに、雪が降るとその雪を集めて塩を振り、冷凍庫代わりにしてアイスキャンディまがいのものを作るということがありました。最初は砂糖水なのですが、それがジュース・牛乳になり、最後は桃やパイナップルの感ずめと、好奇心にまかせて次第にエスカレートしていったものです。このような癖は今も変わらず、手当たり次第燻製にしてみたくなります。はじめて作ったのはイカトンビ(イカの口)の燻製でした。手製の即席燻製機だったせいもあって、焼いたのか燻製なのか区別のつかないところもありましたが、とにかく煙の薫りがついたのでコレは燻製だと満足した覚えがあります。その後、魚・肉は優に及ばず、豆腐・たくあん・カレー粉・岩塩となんでも燻製にしてしまいます。マグロに頭(5,5キログラム)の丸ごと燻製というものをありました。燻製作りというのは、その時の気象の状態で温度・湿度・煙の量。どれをとってもみても一度として同じということはありません。この燻製作りを通して、自然を肌で感じていないと美味しいものはできないのだということを知りました
食べ方と文化
微妙な味かげん?
燻製
ふぐ族に感謝
地方からの情報発信
思いやり